ハテナのごとく!

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問題集より―― 前書き+α

juryが「みんはや」で出題したノンジャンル670問 - nanikadoing - BOOTH より

 

まえがき

まず初めにこの度は僕の問題集を購入して頂き感謝の意を表する。まえがきなんぞに興味がなく問題の方を見たいという方は短・中文問題集は次のページから、長文問題集は62ページから見られるということを記しておく。しかしながらまえがきに加えて、61ページの「なぜ長文を作るのか」という私見については制作意図を込めたものであり、是非とも読んで頂ければ幸甚である。

 さて、当問題集は僕がアプリゲーム「みんなで早押しクイズ」にて放流した短・中文580問、長文90問の計670問を収録したものである。まずもって僕自身が2018年4月頃に「みんはや」を始めるまでは全くと言っていいほど競技クイズに造詣がなかったこともあり、初期に作った問題にはかなり稚拙なものも含まれている。そういった問題を出題するうちに傾向を血肉とし、研鑽を積むことによって通常の競技クイズとは良くも悪くも一味違ったテイストを醸しだしているのが僕の出題するクイズなのだと思う。既存ベタ問へのアイロニーであったり目先を変えたようなものも作問したが、何より長文問題がその象徴と言っていいだろう。これについては先述の通り詳しくは57ページで触れている。また「みんはや」のレートから初めて知ったものはある程度あるのだけれど、基本的に「みんはや」を始めてからつけた知識で出題する問題はない。全てかつての僕がアカシックレコードの中から抽出した記憶であったり、ルーティーンの中で目にした関心事から出題している。例えば「リンゴ」という単語を思い浮かべたときに記憶している様々な事柄を樹形図のように拡げ、果ては枝葉末節に至るまで思索に耽ると、問題にする意義があるものが取り出せることもある。もっともこの方法は僕の負担も大きいので現状の通りなかなか企画を開く頻度は上がらないのだが、今のところ出題価値があるものを求めるには最適な方法であると考えている。加えて僕は未だ界隈におけるベタ問というのがどういった傾向を持っているのかいまひとつ解っていない。せいぜいノーベル賞や芥川・直木賞などの著名賞の受賞者は避けるべきということくらいである。そうした右も左も解らない中で「価値のある問題を出そう」とするのが素人の僕のモットーであり、「みんはや」をプレイする者としてのレゾンデートルではないかと今のところ考えている。

 とかくそういった視点でこの640問を見て頂き、興味を持った事柄は調べてもらえればこれ以上のことはないし、この問題集についても何でも構わないからリアクションをしてもらえればなおのこと有り難い。ひとえにお願い申しあげる次第である。そして「問題に価値はつけられるが、人智に価値はつけられない」ということを念頭に置いて閲覧頂ければと思う。
 
 なお、当問題集はあくまでノンジャンルで放流したもののみであり、青問やカルト企画で使用した問題は含まれていない。こちらもその内まとめて商品化する次第である。また当問題集の問題の羅列は概ね時系列に則るものではあるが、必ずしもそうとは限らない。付け加えてこのような試みが初めてということもあり、何か際立った不手際などあれば報告して頂けると幸いである。

 

 

juryが「みんはや」で出題した青問400問 - nanikadoing - BOOTH より

 

まえがき

まず初めにこの度は僕の問題集を購入して頂き感謝の意を表する。当問題集は僕が「みんはや」で公開したアニメ、ゲーム、マンガ、インターネット文化といった俗に言う「青問」に内包されているものを紹介している。しかしカードゲームやテーブルゲーム、ホビーにTRPGといったものは造詣があまりないため問題が全くと言っていいほどなく、また特撮に至っては青問だと思っていないため収録していないことをご了承されたい。

 問題は短文283問と長文117問の計400問からなる。また長文のうち赤枠で囲ってある最初の30問は、僕が長文を作るきっかけとなったカルト企画「早世したアニゲー同人ネット関係者」に収録したもの。その後の経緯についてはノンジャンルの問題集の方で詳しく触れている。

 以上が大まかな概要である。加えてまえがきに必要な僕にとってのポリシーのようなものも前問題集で散々のたまったので、何か青問についての話をしなければならない。そうだね、ノンジャンルと差別化を図る目的で言えば、まず青問はとにかく偏りやすいということ。無論これは僕自身の守備範囲、或いはもう少し狭めた"趣味範囲"が狭いこともあるが、なかなか作問する上で価値のある情報を引き出すことが難しい。よってノンジャンル以上に初期に作問したもの(当問題集で言えばおおよそ番号の若いもの)には稚拙な問題が多い。実のところ初めて企画した青問は僕にとって初めてかつ唯一の100人以上集まった企画でもあったのだけれど、未だに何が原因でそこまで来訪者が多くいたのかは解らない。逆に現状の参加者は半分以下にまで落ち込んでいるため、より多くのユーザーに見てもらいたい長文企画の方が広まらないと言った有様である。この辺りで僕自身の無力さを感じる。そもそも「みんはや」のフリーマッチが始まってからある程度の「界隈」が形作られるようになったからだろうが、僕のいない間にいつの間にかさらに結びつきが強くなったようで、無名のバガボンドたる僕には少々やりづらいところもあるのかもしれない。

 ……愚痴をしたためてばかりではいたたまれないだろうから話を戻そう。青問の範囲の話である。これは通常のノンジャンル以上に制作者の趣味が出るものであり、よくよく観察するまでもなく任意のユーザーの企画毎に同じコンテンツが入っているということもザラにある。また青問そのものも広義で言えばカルトなのだから、作問者が問題文で語る愛をどのように捉えていくか、ということも焦点となっていくのではないか。つまるところ僕らは任意の作問者が生涯において育ててきた食材から出たスープを、「みんはや」という器によそいところ構わず啜っているのである。その十人十色で千錯万綜の玩わいを好みと感じるかどうかはその人次第だ。

 

 

コラム - なぜ長文を作るのか

僕の作問スタイルを象徴するものとして文章を長くした問題、所謂「長文」を挙げて頂ける方は多いかもしれない。次の62ページから記しているのは若干長さに違いはあれどそのような意識をして作った90問である。基本的に長文問題というものは冗長であったり話が脱線しているものを一文でまくしたてる訳であるから、オッカムの剃刀のように問題文の長さを必要最小限に留める競技クイズにおいては敬遠されている(と感じている)。しかしながら、競技クイズにおけるの単文の枠組みに収まらないほど多様な逸話に事欠かない事象も多くあるわけで、そうしたものを取り逃してしまうのはもったいない。そして何より、長文になってしまうほど僕が興味を惹かれているということの証左でもある。かようなことを反映していくと、僕にとって作問というのは自己表現の一種でもあるのではないかとも考えており、それが最も際立った形で現れるのが長文問題ではないかと結論付けている。
 
 そもそもどういった契機でこうした長文問題を作るようになったかと言えば、2019年3月9日に行った企画「早世したアニゲー同人ネット関係者」によるところが大きい。物故者への思い入れの丈を僕なりにぶつけていった結果文章が膨れ上がってしまい、気が付いた頃には削ろうにも削れない状況に陥ったのである。そこでいっそのことこのまま流してしまおうと相成ったのがこの企画であったのだけれど、有り難いことに結果は"長文であったお陰で"概ね好評であった(Twitterで[since:2019-03-09 until:2019-3-10 #みんはや]と入力しひたすら遡れば当時の様子が確認できる。なおこの問題集は「青問題集」の一部として販売する予定であるのでそちらにも興味を示して頂ければこの上ない)。その時には自覚がなかったけれど、この若書が僕の長文を製作する契機であったことは寸毫の疑いを入れるまでもないだろう。
 
 こうして味を占めた僕はノンジャンルでも最早「長大文」と言えるほどの長文問題を製作するようになった。言うまでもなくこれほどの文量であると作問に時間がかかることのみならず取り掛かることすらなかなかままならない状況があり、企画スパンが相当長くなってしまうのでしばらく失踪していた時期もあった。加えてこれはあくまで所感であるのだけれど、「みんはや」の企画参加者は以前より明らかに知識を身に着けているように感じてしまい、より魅力的な情報かつ、なるべく知られていなさそうなものを海馬を漁りながら展開させアウトプットしている状況である。おかげさまで最も直近に行った長文企画(2021/11/26)では最高得点者でも3/20という最低記録を出してしまった訳だが、流石にもう少し答えることができないとクイズというものは面白くないだろうから、この辺りの塩梅は推敲せねばなるまい。もっとも競技クイズ界隈を知らない僕は物差しを持たないのだから、結局好きなように作問してしまう羽目になりそうである。
 
 そんな感じでここまで長文の作問をする理由を長々書いてきたわけだけれど、別に長文を書く背景なんかは知らなくたって構わない。ほんとうに伝えたいことは、僕が長文企画を行った時によく口にする"知らなくても興味を持ってもらえれば幸い"という言葉なのである。